「THE GODFATHER OF GORE」@第4回ちば映画祭 続き

低予算の、ジャンクな作品を撮っている監督たちほど、紳士な身なり、ふるまいであることが多い気がする。といった時に念頭にあるのは、ロジャー・コーマンだったり、ジョン・ウォーターズ、ロイド・カウフマンなのだが、恐らく彼らは監督としてよりプロデューサー的資質に優れていたんだろう。映画さえ撮っていれば貧しくてもいいという考えではなく、いかに映画で一山当てるかを戦略的に考える山師。能力の高い山師ほど見た目は紳士的。「ペテン師とサギ師だまされてリビエラ」っていう好きなコメディ映画があるんだけど、この作品で富裕層を狙う詐欺師を演じたマイケル・ケインなんかがこのイメージに近い。H・G・ルイスもまた彼らと同じ系列に属する監督だと思う。血や臓物が大好きで仕方がないというようなオタク監督ではない。このドキュメンタリーでは描かれていないが、彼が住む大邸宅は、多分ゴア映画で当てて手に入れたものではなくて、映画製作から離れてマーケティング会社の経営で得た資産で手に入れたものなんだろう。経営の手腕。ここに焦点を当てても面白いドキュメンタリーになったと思う。
けれども監督の一人フランク・ヘネンロッターはカルトな低予算ホラー「バスケットケース」
(←※ちょいグロ注意)
を監督した男。ゴア(血糊)映画の生みの親としてのH・G・ルイスに焦点を当てる。さて、“ヌーディ―キュティー”が下火になってきたのを見てとって、プロデューサーのデイヴィッド・フリードマンと次なる一山を探していたルイスは、いよいよゴア映画へたどり着く。きちんと観てなかったのかな、ゴア映画を思いついた過程を思い出せない。
撮影期間4日間で、素人並みの俳優を起用して、ひたすら赤いドロドロした血糊と豚か何かの臓物がショッキングに映し出される「血の祝祭日」が完成される。今観るとキュッチュで面白い。当時はどういう反応だったんだろう。
当時の出演者や撮影スタッフなどが低予算ならではの苦労を語る。“ヌーディ―キュティー”の作品で見出された(?)ボディビルダー出身の男優(名前忘れた)は、出演する傍ら裏方としてもせっせと働く。撮影用に購入した豚の臓物を冷蔵庫に保管していたところ、停電が起きて臓物が腐ってしまう。
ルイスとフリードマンは撮影の舞台となったホテルを訪れる。なんだか「ウチくる!?」みたいなほのぼのとしたノリ。
フランク・ヘネンロッター自身も出演して(坊主頭の巨漢。もっと貧弱な青二才っぽいイメージがあった)、ひとりやけに真剣にルイス作品を語る。それに比べてジョン・ウォーターズはルイスのマニアックな一ファンといった感じで、貴重なノベライズを嬉々として紹介する。
血の祝祭日」から、デイヴィッド・フリードマンとの蜜月が続いた「2000人の狂人」「カラー・ミー・ブラッド・レッド」。良き相棒を欠いた後も、60年代という時代を反映して、バイカー映画や“アメリカン・ニュー・シネマ”風な若者の反抗ものなどにも色目を使い、それでもやっぱり当たりをとったゴア映画へのこだわりがあったのか「悪魔のかつら屋」「ゴア・ゴア・ガールズ」「血の魔術師」とよりゴア描写をエスカレートさせた作品を監督。60年代を血に染めたわけだ。
本作は年代順にこうした作品を紹介しつつ、関係者などのコメントを挟むというドキュメンタリーとしては凡庸な作り。でも、ラスト、ルイスがコミコン(?)かなにかにゲストに呼ばれて「イーハー!」と自作の歌を歌って雄叫びを上げる画を観ると、幸福な感じがする。この鑑賞後の感じは、ティム・バートンの「エド・ウッド」と同じ。温かいよね。

でも、こういうエクスプロイテーション映画を、またそのつくり手を記録しておくのって大切だな、と思う。どんなに完成度が低くても、ここには大衆の、その時代の欲望がダイレクトに反映されている。だなんて、もっともらしいこと言わないでも、ただくだらなくって面白いものを残そうよ、と。久し振りに映画秘宝の「エド・ウッドとサイテー映画の世界」

映画秘宝 エド・ウッドとサイテー映画の世界

映画秘宝 エド・ウッドとサイテー映画の世界

を読み返したけども、この本はエクスプロイテーション映画を一通り網羅できる、ほんとによくできた本だな、と改めて感心。