「桐島」2回目、今年の映画(館)納め

はてなダイアリーやっていたのをここ一ヶ月ほど忘れていたようである。
一か月前くらいまでは「もうだいぶすっぽかしてるな…」くらいは思っていたのだが…。


前回のエントリーが「桐島、部活やめるってよ」についてだったが、久し振りのはてなダイアリーもまた「桐島」である。
銀座テアトルシネマでの追加上映の最終日、最終回に駆け込む。
最終回前の上映後に脚本の喜安氏、プロデューサーの枝見氏、佐藤氏による舞台挨拶があったのだが、「席に余裕があるのでどうぞご覧ください」との劇場の方の配慮で観覧させてもらう。
前から二列目で観覧、なぜだかこちらが緊張する。「写真撮り放題」とのことだったが、そう言われると撮りづらい、いや、あまりそういうミーハー気質がないんだろう。


喜安氏が「好きとか嫌いとかの関係性だけで描きたくなかった」というようなことを話していたのを聴いて再見したので、確かに学園青春ものなのに好き嫌いの関係性の比重が軽いな、などと思いながら本編を観た。
舞台挨拶では佐藤氏から「桐島」DVD&BDの発売がアナウンスされる。相当期待させる内容らしい。
美人プロデューサーといわれる枝見氏は確かにきれいであった。前の彼氏とバレンタインデーにデートをしているときに本屋で平積みされていた「桐島、部活やめるってよ」を手に取ってからこの企画が動き始めた、という話はなかなか良い話。


2回目の「桐島」はやっぱりよかった。
学園青春ものというと、文化系のナーズが体育会系ジョックスに一泡吹かせるというコメディタイプのものか、恋となにか(部活だったり友情、勉強、家庭とか)を天秤にかけて悩んだりといったタイプを真っ先に想像しがちだけど、「桐島」はそのどちらにも属さない。
前田涼也と映画部らがゾンビで逆襲を試みたりはするけれども、決してボンクラに肩入れしている訳でもない。
どちらかというとこの作品で提示される視点は、上から目線。
菊池宏樹はルックスがよく、運動神経もあり、そつなく、器用に、スマートに立ち回れるにもかかわらず、どこか心が満たされない。それに比べて野球部のキャプテンや、前田涼也は明らかに才能がないにもかかわらず、野球だったり映画だったり熱中できるなにかを持っている。しかも決して無謀な夢を見ているわけでもなく、自分でも野球や映画でものになるとは考えていないのに、今、その瞬間をいきいきと生きている。「なんでお前たちは、そんなにいきいきとしていられるんだよ?」。そのことに宏樹は羨望の眼差しを向けている。クールを装ってはいるけれども「俺はあいつらが羨ましいのかもしれない」と。
ひとによってはこの宏樹の悩みは、「勝ち組のくせに贅沢だ」と言われる種のものなのかもしれない。
でも勝ち組には勝ち組なりの悩みがある。
あまりこういう視点の学園青春ものというのを観た記憶がない。ここが新鮮であった。


勿論、観る人によって感情移入するキャラは異なるかもしれない。
そういう余地があるのがまた「桐島」の魅力なんだろう。
BD出たら買おう。

桐島について書いとかないといけない

いい加減放置し過ぎなので。


先週ようやく観た「桐島、部活やめるってよ」を引きずり続けていて、おそらくこれは年内引きずり続けそうな感じである。
しばらく邦画を観ないできていたが、「桐島」もまったく守備範囲に入っていなかったのに、twitterのタイムラインに流れこんできたいくつもの絶賛ツイートにほだされて足を運んでみれば、これが思いもよらない傑作!
かえって期待が高まった分がっかりさせられたりするんじゃないかという懸念も霧散。
学園青春もの、ゾンビもの、なにより映画が好きな人は必ず観るべき作品になっている。


というようなことは、もう鑑賞直後からツイートしてて、ここらで「桐島」の何がよかったのか、振り返りながらまとめたい、そういうためのはてなダイアリーじゃないか、という気もするのだが、いざまとめようとすると、まとめきれない。


そう、批評やレビューはここではやらないのだった。
いくらでもよいのがあるのだろうから。


「桐島」観た翌日近所では上映最終日だったので、また観に行きたくもあったが、家族を優先した。懐の事情もあった。
それでも「連日観たい」などという気持ちになるのは珍しい。その気持ちだけでも得難いものを得た気になる。

wowowで「朝まで生桐島」なる特番も、途中からだが、つい観たり。
宮部実果のスピンオフドラマが最後に特別放映されたが、これは、まあ、おまけだ。


ブックオフでとりあえず文庫「桐島、部活やめるってよ」を手に入れ、読む。

桐島、部活やめるってよ (集英社文庫)

桐島、部活やめるってよ (集英社文庫)

映画とはかなり違う。
いや、核の部分は変わらない。
菊池宏樹と前田涼也の、校内カーストを超えたひかり溢れる邂逅。
人の関係性はちょいちょい異なるが、なにも小説が原作になったからって映画がそれをなぞる必要もない。


それにしてもこの小説から、あの映画の脚本ができるとは。
これはシナリオも読んでみたい。
なにせ小説にはゾンビもロメロも映画秘宝も出てこない!
小説では「ジョゼと虎と魚たち」、犬童一心キネマ旬報なんだから。


脚本も書いてる吉田大八監督の手腕も気になるところ。
腑抜けども、悲しみの愛を見せろ」を借りようと思ったが貸し出し中だったので、「クヒオ大佐」を借りる。

ここではモヤモヤを抱える女たちが描かれる。タイトルロールのクヒオ大佐は、「桐島、部活やめるってよ」で例えれば、実は桐島である。
「桐島」では桐島は不在ではあったが、そのことで周囲に波紋を起こす。
クヒオ大佐」ではクヒオ大佐の嘘が、女たちに波紋を呼び起こす。
そんな「桐島」ありきの視点でしか、観られなくなってきている。


満島ひかりのツンととがった鼻や顎が、、、、


橋本愛もいいが、梨紗役の山本美月の有無も言わさないイケてる女子っぷりにストレートにやられたりも、、、、

勉強会は「ウォール街」とキリンジで…

ほんとは毎日とはいかないでも週に二、三回は更新するくらいのつもりでいたのである。
月変わりに心を入れ替えた気になって、気分一新、いや、気合を入れ直してトトトンと8月更新した後、まさに三日坊主にふさわしい体たらく。


社内で勉強会を開催するという企画を自ら立てて、それが来週に迫っているので資料をつくったりしないとならないのだが、なかなか捗らず、「資料」が「死霊」と誤変換されれば気もそぞろ。
テーマが「情報セキュリティ」なので、といってさほど専門的に行うつもりはなく、基本的なこと、情報セキュリティのCIA(Confidentiality=機密性、Integrity=完全性、Availability=可用性)などを復習するようなお勉強とディスカッションをやろうと思っている。
といって自分自身そう詳しいわけでもなく、以下の記事などからいろいろつぎはぎ仕込んでいるところ。
第1回 情報セキュリティ、基礎の基礎の概念を知る (1/2) - ITmedia エンタープライズ


しかしこれではお堅いか、と、少し勉強会のつかみに映画のネタでも持ってこれないかと考え、「インサイダー」なんかどうだろうと、いや、むしろ「ウォール街」の方が適当かと思い当り。これもどこからかの入れ知恵、ヒントがあったんだけども。早速ツタヤで「ウォール街」を借りてくる。


早速借りてきたっていっても、勉強会はもう来週なのである。
で、じゃあ、早速観なくては、と思いつついっしょに借りてきたキリンジの「BUOYANCY」なぞを聴いて熱帯夜にまったりしていたりする。

BUOYANCY

BUOYANCY


しかし、「ウォール街」を観れば資料作成が進むわけでもない。
なんだか回り道の回り道ばかりしている。
回り道の回り道は本道に戻ってくるわけではない。
急がばまわれというが、この場合急ぐ方も遠回りする方も同じ目的地を目指していてルートが違うだけだが、自分の回り道は目的地を見失っている。
回り道を重ねるほどに目的地を失う、忘れる、そもそも目的地などなかったのじゃないかと思う。


無目的だったり、中途半端だったり、やることがぶれたり、ずれたり…
このブログは恐らくここを極めていくのを目的とする、はずなのだが、、、、

アウトレイジのこと

余韻が残ってる。「アウトレイジ」の。
北野武監督新作、という響きにあまり反応しなくなったのは、おそらく「HANA-BI」以降。
それでも「監督バンザイ!」「TAKESHI'S」は地上放送オンエアで受け身的に鑑賞。
武作品はバイオレンスばかりを評価する訳じゃない。「みんな〜やってるか」のようなメタ的作品も嫌いじゃないのだ。
多分正確には、バイオレンスだけでもなく、ベタなギャグだけでもなく、北野武本人もどこかで言っていたように記憶するが、“振り幅”に惹かれている。フィルモグラフィの振り幅、一つの作品の中での振り幅。それはまた、バランス感覚とも言うのか。


観終わってから言うのもなんだけど、なんで無視してこれたのだろう。「アウトレイジ」。

黒塗りの車が列をなして走るカットだけでゾクッとする。
そこで入っていけない人が「ストーリーがどうのこうの」「バイオレンスがどうのこうの」批判的に言うのかもしれない、などと。


風景。ヤクの受け渡しをする住宅街、ラーメン屋の店内。
そう、店内。サウナ、スナック。無駄に動かない節度あるカメラが捉える室内、人物の配置、それらが醸す空気感が好き。


役者一人ひとりの演技の熱量が高い、と素人が果たして言ってしまっていいのか。
しかし、皆が北野武監督へのリスペクトを包み隠さず演技で応えているかのよう。


ああ、また観返そう。
そして「アウトレイジ ビヨンド」はぜひ劇場へ。

アルキネマのこと

あまり頑張りすぎてはいけない、とは思うが、こう、ブログを書いてみようかと、打ち出してみる。


夜更かしをするくらいなら、早起きをした方がいいのだが、20分と決めよう、20分で書けるとこまで。


theピーズの新譜を、といってもここ数年出していたシングル盤の集大成的、ベスト盤というのを深夜に聴いている。こういう時間でないとなかなか聴けない。
しかし、蒸し暑い夏の夜のピーズは、沁みるもの。


「アルキネマ」

アルキネマ

アルキネマ

アル中、ゲロネタがやけに多いな、と。収録曲もまんま「アル中」とか「ゲロサーフ」とか、これほど低俗で、歌詞に潜らせるのもためらわれる言葉をタイトルに冠するピーズのセンス、というかハルのセンスは、やはり希少だと思う。
こういうタイトルの曲で、一切コミックバンドな雰囲気などなく、日本独特な私小説的な湿っぽい詩情を醸すことができるロックバンドを、他に思いつかない。
「バカになったのに」でデビューしてから20年以上一応ファンであり続けたのは、個人的にはもっとも誇らしいこと。


レビューはしない。
しないけど、ピーズについてのきちんとしたレビューを読みたい希望はある。
ハルの詞のセンスばかりが取り沙汰されがちだけども、音楽的なルーツだとか、ハルのベースライン、アビさんのギターソロやら曲のコード進行やら、詳しい人のレビューが読みたい。


「アルキネマ」、ざっと聴いててスッと「いいな」と入ってくるのは、「絵描き」、

あと、「でいーね」「ゲロサーフ」「犬ゾリ」なんかも好き。


どうしても歌詞を書きたい衝動を抑えられない。ので、「ゲロサーフ」から。
「おっさん3次元で引っ張れ
 もう少し突っ込め、手突っ込め
 在宅蜃気楼遭難地帯
 いっぺん死んだれ
 さあもういっぺん死んだれ」
これは、どういうことだろう?
おそらく、駅のホームかなんかで深夜酔いつぶれて身体を揺らしているサラリーマンのおっさんを歌っているのかな、と単純に思ってしまうんだけども、それがこういう歌詞になる。低俗さと詩情との拮抗がたまんないのだ。
「在宅蜃気楼遭難地帯」なんて、このわかりそうでわからない感じ(漢字)。


で、「ゲロサーフ」続き。
「鼻からパイナップル
 オイそら胃液だろ
 どのみちイケんだろ
 何透き通ってんだボケ」
「胃液」をさりげなく、かっこよく歌えるボーカリストがハルのほかにいるんだろうか?
「何透き通ってんだ」で、酔いつぶれたおっさんがファンタジーに昇華されてくような気がするのは自分だけだろうか?


あ、時間だ。


「でいーね」から、
「たまに楽しーね
 気のせいでいーね」

読書法、読まないで置いておくだけ、というのも…

ブログに書こうと思っていたネタが、ネタというほどでもないが、あったのだけども、温めているうちに、いや、実際は外へ放り出したままにしていたんだろう、この暑さだ、腐ってしまった。


8月になってしまった。押し留めようもなく。


読書計画が思うように進まないでいる。
2、3年前からちくま文庫の「ちくま日本文学」全40巻の読破を目標に掲げてコツコツ読んできたが、今年はまだ1冊も読めていない。しかも1巻から順々に読んできてまだ14巻目の谷崎潤一郎までしか読めていない。
と並行して去年からジョイスベケット、ウルフ、というベタな20世紀世界文学のビッグネームを読むと決めて、去年何とか「ユリシーズ」は読んだものの、今年の目標「フィネガンズ・ウェイク

フィネガンズ・ウェイク 1 (河出文庫)

フィネガンズ・ウェイク 1 (河出文庫)

にいまだノータッチ。
で、何を読んでいるのかというと、津田大介「動員の革命」佐々木俊尚「当事者の時代」
「当事者」の時代 (光文社新書)

「当事者」の時代 (光文社新書)

といった話題の新書やあとは仕事絡みが多いな。会社で読書会をチームでやっているので、その課題図書とか。雑誌は「クーリエ」「wired」「映画秘宝」をパラパラと。
こう挙げてみるとそうたいした数読んでいるわけではない。とにかく読む時間がほぼ通勤時間と昼休みくらいしかない。と、時間を計算してみると大体一日2〜3時間くらいだろうか。ん?これは意外と読書時間取れてる方なのではないか?とすると、読むスピードが著しく遅い。それはその通りだろう。読んでいて全然別のことを考え始める、というのはままある。それが読書の快楽だとすら思ってる節もある。故に一向読み進まない。
しかし、読みたい本はどんどん出てくる。もっとサクサク読めないものか。


と、こんなことを書き出したのは、今日本屋で「週刊東洋経済」の「読書の技法」という特集の中の佐藤優氏の読書法についてを立ち読みしたから。月に300冊?500冊?どういうことだろう?
速読で当たりをつけて、重要な本は2度3度と熟読する。そんな読み方ができれば。
確かに、たいして面白くなかったな、と思うような本を生真面目に何日もかけて読んでいるのはバカらしいような気もしてくる。感化されやすいのである。
佐藤氏の読書法を一朝一夕で真似できるはずもないのだが、読みたい本が読めてない現状を鑑みれば、自分なりの読書法を考え直した方がいいのかもしれない、などと。
読書ノートをつくる、みたいなことは面白そうだぞ、と。そう、確かに読んだものを次から次へとすぐに忘れていくのである。しかも再読というのをほとんどしない。読んだ、ということは言えるのだけども、その内容や、あまつさえ感想などもすぐに忘れていく。惜しまずに忘れていく。


ブログはあまり長く書くものではない。
レビューや批評、ネタ的小噺はできない、との自覚が出てきたので、日々のことから徒然に、ぶれながら、先を見通さずに書く、というのがこのブログにおいて自分にできることではないか、と考え始めている。
が、あまり長く書くものではない。


その「週刊東洋経済」は結局パラッと立ち読みしただけでラックに戻し、「ブルータス」の植物特集と「ニュートン」のダークマター特集をサクサクッと手に取り購入。これが今日の収穫。これだけ書いておけばよかったのだった。
まだちゃんと読んでいないので、今はまだ何も書けない。しかし、どちらも涼しげだ。いま、バッグにしまいっ放しだったこれらの雑誌を取りだしてみたが、清涼感、としか言いようがない。枕元や、目につくテーブルの上に置いたりしておくだけで十分役目を果たしそう。


ダークマター、そしてヒッグス粒子も、まったく門外漢、専門的なことはわからないが、秘かに応援しているのである。なにを?
「正体を知られるな!」と。
「人の追究から逃れろ!」と。
この世にわからないことがあるというのが、生きていくうえでの支えになる。

非常階段とかYMOとか

明日は都内へ向けて車を運転するので、普段近所で買い物に行く程度でしか運転しない身にとっては大いにプレッシャーである。
なので早めに寝たい。1時には寝たい。あと15分くらいで書けるとこまで書くことにする。


福島で大友良英らが旗を振る「project FUKUSHIMA!」のイベントが昨年に引き続き今年も開催されるようですが、同時多発的に行われるらしい各種イベントのなかでとりわけ目を引くのが、というかそこだけにしか目がいかなかったのだけども、「ノイズ温泉」「ノイズ電車」。「ノイズ温泉」には大友良英に非常階段他が出演。「ノイズ電車」のほうは出演者は当日のお楽しみだそうで。非常にどちらも惹かれる。
非常階段の、これはインストアライブか何か?

美川氏のパフォーマンスを生で初めて観たときは、ほんとに痺れた!


最近音楽系のイベントには縁遠い。
と思っていたら、たまたま、ほんとにたまたまtwitterのタイムラインで知って、こないだ「NO NUKES 2012」の二日目、DOMMUNEでの配信を見た。すごく画質も音質もよくてびっくり。時々配信がプツプツ飛んだりはしたが、これを無料で見ていていいものかと申し訳ない気持ちになった。ので、署名をした。
ライブはacidmanトータス松本がボーカルをとった忌野清志郎スペシャルセッション、あとYMO見た。YMOがよかったな。細野さんのベース聴いてたら久し振りにベースを弾きたい気持ちがむくむくと盛り上がってきた。


しかしYMOの「NO NUKES2012」でのライブは、同時視聴者が最大で3万人を超えていた。会場にどれだけの人がいたのか知らないけれども、3万人のうちの1人として見ていても、このスケール感がピンと来なくて、これはライブで見てるんだけども、やっぱりライブを見てるのとは違う。といって、過去のライブをDVDで見てるのとも感覚が違う。刻一刻変わる視聴者数の数字には、やはりライブ感がある。ストリーミングの鑑賞というのは何だろう?変な感じだ。


ああ、もう1時を回って雨もまた降り始めてきたので、そろそろ寝よう。
こういう疑問をなにかひとつ提示して、答えを出さずにあちこち行ったり来たり、行ったきりになったりして、つづるブログというのを目指す。
今日も着陸せず。
「あなたは仕事をきちんと着地させないのよ」と昔、ヒステリックな女性上司に叱られたことがある。
無着陸。
これを自分の価値に変えていく。